1月20日(無職3日目)

 

 

 

 

電気毛布を敷いて寝たら体が全部溶けてマットレスに染みてしまったので、今朝はそれを回収するところから始まった。やや寝坊。

 


昨晩私が使ったヘアブラシはどうも犬猫のものだったらしい。使わない方がいいと言われる。

 


市役所に行く。問題なく茨城県民になった。健康保険とかいう病院のサブスクは絶対に入らないといけないのだろうか。

 


高速道路に乗る。高速道路は、普通の一般道よりも、命のやりとり感があって苦手だ。油断するとより死にやすい気がする。大型のトラックなど、圧倒的な体積のものに横に並ばれるとウググと思う。やられる前にやるというのは戦いの基本だが、姉のトコットとヤマトのでかいトラックでは勝ち目はない。おそらく「ぺしゃ」となって終わりなのだ。

 


化粧品を入れるためのポーチを買う。普段ビニール袋に入れているのだ。適したものがないと言い続けはや3ヶ月が経っていた。

 


夜、職場の人間から電話。息を殺してやり過ごす。

 

 

 

 


明日やること ぬいぐるみを洗う

 

 

1月19日(無職2日目)

 

 

 


姉の家に行く。姉に、毎日の犬の散歩と、犬と猫の餌やりという大役を仰せ仕る。気の引き締まる思いである。

 


10時ごろ、手配しておいた荷物が届く。冷凍ホタテ1kgだ。袋は、蕎麦殻の枕ほどの大きさがあり、ずしりと重い。やさしい白色の肌に、生き物を感じる生臭さとまろやかな甘みを思う。

 


11時ごろ〜17時ごろまで、お昼休憩を挟みながらしばし作業。時おり猫や犬を構い、迷惑がられる。

 


17時ごろ、姉を職場まで迎えに行く。車窓からフィットの流線型が見え、車をモルモットに見立てた人のこころが全てわかった気がした(これはたしかにモルモットだ、と思ったのだ)。

 


19時まえ、手巻き寿司の材料を揃え帰宅。我が家では贅沢といえば手巻き寿司一択だったので、実家を出てかなり経つ今でもそれを無意識になぞってしまう。

 


食後、姉に手ほどきを受けながらシルバニアファミリーの赤ちゃんを入れるカゴを編んで過ごす。箱のまま持ち歩くのはあまりに無粋だが、剥き出しでカバンに入れるのは些か心許ないと感じていたのだ。

 

 

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上出来。姉にフタも作ってもらった。

 

 

 

メモ

猫の餌 トゲトゲの方をカップの0.2くらいのところまで入れる 朝は金色の袋のチュールと鰹節、夜は猫の絵のついたパウチをかけて供する

犬の餌 丸い方を朝はカップの0.3くらいまで入れる 夜は0.2あたり 朝と夜でパウチを半分ずつかけて出す 

 

 

1月18日(無職1日目)

 

 

 

 

 

 

 仕事を辞めた。無職になった。社員寮を出たので、一時的だが住所も無くなった。

 電車に乗って区役所に転出届を取りに行く。私服だったので、なんとなく休日のような気がしていたが、今日は月曜日だった。皆んなさぞ気が重かろう。電車を降りれば顔も忘れてしまうような自分にとっての有象無象に、一つ残らず過去や未来があることをふと恐ろしく思う。

 

 天気が良かった。雲のない空を見ると、くるりの「魔法のじゅうたん」を聞かねばならぬという気になる。あれを聞くと臓器が透明になるかんじがするのだ。

 

 区役所にて手続き。つつがなく名古屋脱出。転出しただけで、何処にも着地していないので、ますます存在が不安定になってしまった。住所不定、無職、25歳。何処のものでも無くなった体。これからどうなるのだろう。

 

 職場から2度ほど電話。退職代行業者に、電話は絶対にとらないようにと言い含められていたので、無視する。本屋でいろいろな心理学の本の背表紙を眺め、嫌なドキドキをやり過ごした。職場に残してきた内通者から「◯◯さん(人事の方)が、よくあることだから慣れたし耐性ついてる、って言ってました」という連絡。そうか。私の勇気も決断も、彼らにとっては何でもないことなのだろうと思った。怒りも、呆れも今はなく、ややほっとする。

 

 午後からカラオケにて作業。捗る。ウンウン言いながらパソコンと向き合うこと4時間程度。机が低いため肩や首が聞いたことのない悲鳴を上げはじめ、これ以上は危険と判断し、作業中止。撤退。

 

 夕ご飯。チルドの餃子。餃子の美味しさは中身ではなく焼き方にこそ宿ると知る。

 

 夜行バスに乗ることになっていた。友達に、バス乗り場まで送ってもらう。無言。じゃあしばらく、元気で、またすぐにと言って別れる。

 夜行バスに対しては他にないときめきを感じている。野生の動物みたいに息を潜める人々が好きで、電気を消した車内に、カーテンの隙間から潜り込んだ光がはしるのが海底みたいで好きだった。狂ったように東京に通っていたのも、今思えばその高揚に触れるためだったのかもしれない。

 

 首の後ろ側から柔らかな眠気がやってくる。もうじき電気が消える。それではおやすみ、元気で、また直ぐに。

 

 

 

 

 

頭痛の赤ちゃん

 

 

 

頭の中に、頭痛の赤ちゃんがいる……!

 


 「頭痛の赤ちゃん」というのは、頭痛というほど大したものではないが何となく見過ごせない頭の不快感、のことである。普段は赤ちゃんらしく脳の深いところで寝ているのだが、気圧やホルモンバランスのあれやそれで揺り起こされては、俺をあやせとばかりにホニャホニャ泣き出すのだ。

 

 今日も午前中から「頭痛の赤ちゃん」の存在を意識して過ごしていた。目の奥の方に確かに寝ている。私は彼(彼女?)を起こさないよう、最大限の気を使って買い物へ行き、服を見たり買ったりし、無印良品の併設カフェで昼食を食べるなどした。

 

 寝た子が起きたのはちょうど帰りぎわのことである。下りエスカレーターに乗りながら、あ、起きたな、と思った。眠りを妨げられた「頭痛の赤ちゃん」は火のついたように泣いている。何が気に入らなかったのだろう。人が多いところに出てきた所為だろうか。急に晴れて気圧が変化したからかもしれない。それとも、昼食のおかずで揚げ出し豆腐を選ばなかったせいか。

 私はヨシヨシ、もう帰るからね、もうお家だからねと「頭痛の赤ちゃん」をあやしつつ化粧品カウンターへ行き、美容部員さんと30分程度話し込んだ。これには赤ちゃんも怒り心頭である。サンプルをたくさんつけてもらった乳液を片手に店を出る頃には、彼はもう赤ちゃんとは呼べない大きさに成長していた。「頭痛の成人男性」である。

 

 「頭痛の成人男性」は私が帰りの電車に揺られる間、私の稼いだ金でクラブへ行き、クライナーを馬鹿みたいに飲み、そのままの流れで女の肩を抱いてホテルに入っていった。

 私はそれを時に叱責し、時に宥めながら食料品の買い物を済ませた。それでも「頭痛の成人男性」は止まらない。立てば痛い座れば痛い歩く姿はメッチャ痛いといったところか。「頭痛の団塊世代」の誕生である。

 

 なんとか帰宅し、赤ちゃん返りして泣き喚く団塊世代を抱き上げ、イブクイック頭痛薬を飲ませてやり、背中をトントンと叩いてやる。ゲップしたことを確認して床に横たえてやれば、この先私にできることはない。

 むずがる団塊世代の横でしばし共寝し、起きた時には頭痛の影も形もなかった。

 


 しかし、「頭痛の赤ちゃん」は居なくなったわけでも死んだわけでもない。脳の深いところで寝ているだけである。また様々な場面で起き出しては親である私を散々に振り回すのだ。

 この先も私はいつ起きるかわからない頭の中の寝子に怯え、細心の注意を払って生活していくのである。

 

 

 

 

3月19日

 

 

「やまやランチセット」の明太子をオーバードーズしたことにより著しく体調を崩す。激しい吐き気に襲われカフェのトイレにてしばし吐瀉。連れ立って友人も腹を下したため「ゲリとゲロ」という最低の2人になってしまった。

 

ABCホールにて舞台「罪男と罰男」鑑賞。上映期間中につき詳しくは伏せるが、内容の如何に関わらず、人の命の激しく揺れ動くことというのは、近くで見れば見るだけ受け手にストレートに伝わるものなのだなと思う。感涙。

1時間45分は着座の状態なので、体調の回復をと期待していたが、容赦無い音響で胃をこれでもかと突き上げられ瀕死。幕が下りるやいなやトイレに駆け込んで再び吐瀉。「推しの舞台見に行ってんけど色々ヤバすぎてゲェ出たw」というネタツイ然とした挙動を現実のものにしてしまう。

 

舞台が終わる頃には終電は無くなってしまっていたので梅田にて一泊。2人部屋を予約したのだが先方の都合なのか大部屋が用意されており、行儀よく並んだ4人前の布団に圧倒される。ここをたった2人で使うのも……と思い近隣住民に今から来られないか連絡したところ本当に来てくれた。初対面だったがお互いの写真付き身分証明書でデュエルを執り行うことで出会うまでの空白を強引に埋める。歓談のち、就寝。また会う約束をふんわり結べたので非常に嬉しく思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月16日

 

 

髪の毛を切ったのに世界一可愛くなれなかったから悲しい。トリートメントまでしてもらったのに。こうして完成しないままとりあえずみたいな自分で生きていくのだろうかと思ったら怖くなってしまった。

 

 

覚えていないけど悲しいことがあった気がした。お酒を飲んでアマプラで相席食堂を見たらそれも全部分からなくなった。強い人間になりたかった。