頭痛の赤ちゃん

 

 

 

頭の中に、頭痛の赤ちゃんがいる……!

 


 「頭痛の赤ちゃん」というのは、頭痛というほど大したものではないが何となく見過ごせない頭の不快感、のことである。普段は赤ちゃんらしく脳の深いところで寝ているのだが、気圧やホルモンバランスのあれやそれで揺り起こされては、俺をあやせとばかりにホニャホニャ泣き出すのだ。

 

 今日も午前中から「頭痛の赤ちゃん」の存在を意識して過ごしていた。目の奥の方に確かに寝ている。私は彼(彼女?)を起こさないよう、最大限の気を使って買い物へ行き、服を見たり買ったりし、無印良品の併設カフェで昼食を食べるなどした。

 

 寝た子が起きたのはちょうど帰りぎわのことである。下りエスカレーターに乗りながら、あ、起きたな、と思った。眠りを妨げられた「頭痛の赤ちゃん」は火のついたように泣いている。何が気に入らなかったのだろう。人が多いところに出てきた所為だろうか。急に晴れて気圧が変化したからかもしれない。それとも、昼食のおかずで揚げ出し豆腐を選ばなかったせいか。

 私はヨシヨシ、もう帰るからね、もうお家だからねと「頭痛の赤ちゃん」をあやしつつ化粧品カウンターへ行き、美容部員さんと30分程度話し込んだ。これには赤ちゃんも怒り心頭である。サンプルをたくさんつけてもらった乳液を片手に店を出る頃には、彼はもう赤ちゃんとは呼べない大きさに成長していた。「頭痛の成人男性」である。

 

 「頭痛の成人男性」は私が帰りの電車に揺られる間、私の稼いだ金でクラブへ行き、クライナーを馬鹿みたいに飲み、そのままの流れで女の肩を抱いてホテルに入っていった。

 私はそれを時に叱責し、時に宥めながら食料品の買い物を済ませた。それでも「頭痛の成人男性」は止まらない。立てば痛い座れば痛い歩く姿はメッチャ痛いといったところか。「頭痛の団塊世代」の誕生である。

 

 なんとか帰宅し、赤ちゃん返りして泣き喚く団塊世代を抱き上げ、イブクイック頭痛薬を飲ませてやり、背中をトントンと叩いてやる。ゲップしたことを確認して床に横たえてやれば、この先私にできることはない。

 むずがる団塊世代の横でしばし共寝し、起きた時には頭痛の影も形もなかった。

 


 しかし、「頭痛の赤ちゃん」は居なくなったわけでも死んだわけでもない。脳の深いところで寝ているだけである。また様々な場面で起き出しては親である私を散々に振り回すのだ。

 この先も私はいつ起きるかわからない頭の中の寝子に怯え、細心の注意を払って生活していくのである。