3月14日

 

 

 

 

 

 

 

母親のラインをブロックした。そのための操作はあまりに呆気なくて、なぜ今までそうしなかったのだろうと思った。

 

深夜に送ったメッセージに怒涛の返信があった。帰省の前日に、栄えた場所で観劇の予定があると伝えたら、流行病のことがあるので行くのを止めろと、私に病気をうつして殺したいのかと言われた。母は被害妄想の強い人だった。誰かに監視されていると言って発狂したり、盗られたものなど何もないのに空き巣に入られたと言って家の鍵を変えたりする人だった。

 

人生で一度だけ母を殴り返そうとしたことがある。気持ちだけは前のめりだったので大丈夫だと思ったが、握った拳に力は入らなかった。他人の顔をノーブレーキで殴れる人間は私とは全く精神の作りが違うのだとその時に初めて知った。ささやかな反撃を受けた母は案の定激昂し、殴るなら殴れと叫んで私の顔面を殴打した。母は中学の教師で、私はもう23歳だった。

 

10件以上連投されたメッセージには、呑気すぎて呆れるだとか、世間に後ろ指を差されるような真似をやめろだとか、書いてあるだけで、私が病気に罹ることを心配するような文言は一つもなかった。母の度を越した過干渉は愛から来るものだと信じていたが、つまりはそういうことだったのだろう。

 

私はそれにそうですかわかりました。では残念ですが今回の帰省は見送らせていただきます。とだけ返信した。そうして、ラインをブロックし、実家の電話と母の携帯の番号を着信拒否に設定した。簡単なことだった。何故もっと早くやらなかったのだろう。私は家も、仕事も、資格も、趣味も、友達も、沢山ではないが金も、全て持っているのに、母親が消えたところでどうにかなってしまうような人生なんか歩んでいないのに、今まで何に怯えていたのだろう。

 

私は来週引っ越しをする。手伝いは20年近く前に離婚している父に頼んだ。引っ越し先は、母には伝えていない。